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野村武志

マイスター 野村武志

profile

1984年ミズノ入社。入社以来、一貫してアイアンに携わり国内外男女トッププロのクラフトマンを勤めている。ニック・ファルドのメジャー優勝にも貢献する。

フィッターの資格も持つ。他社契約のプロも野村にクラブを見せにくることがある。これは野村のクラブを見る目を信頼している証である。そうすることで安心して使えることを確認するのであろう。


クラブの要求が厳しいほど、僕の血が騒ぎますね。

現代の名工。それは、厚生労働大臣あるいは各都道府県知事によって選出・表彰された、モノづくりの卓越した技能者のことを指す。ミズノテクニクスには、その栄えある「名工」の称号を授かった職人が、2人いる。
プロ野球のイチローや松井秀喜のバットづくりを手掛ける、久保田五十一。そしてもう1人が、国内外トップゴルファーの華麗なショットを支え続ける名クラフトマン、野村武志だ。

「授賞式のとき、最前列に並んでいる人間の中で、歳が40代の人間は僕だけだったんです。他は60歳代以上の…かなりの年配の方々ばかりで。周りの職人さんから“あなたは何をしている人なの?”と不思議がられて、非常に困りましたよ(笑)」。
野村は25歳の頃からニック・ファルドのクラブづくりを担当。
彼のメジャー優勝にも貢献するなど、クラフトマンとして順風満帆な道を歩んできたように見えるが、「それはまったく逆です」と野村は首を横に振る。

「もう入社した当初から、キツかった…のひと言です。僕らの世代の師匠に当たるクラフトマンで小原さんという方がおられたんですが、とにかく厳しい方で。自分が削ったヘッドをプロに見てもらう前、必ず小原さんにチェックをもらうのですが、ほとんどがダメ出し。ひどいときには、全部やり直ししろと。僕が持っていったヘッドをその場で削り直されたこともありましたね。それもいちばん目の粗いペーパーで」。
自分が自信を持って削ったヘッドに手を入れられるのは、クラフトマンとして屈辱的な瞬間であっただろうと、素人でも想像に難くない。
だから小原とは「おはようございます」「クラブ見てください」「失礼します」以外の会話をしたくなかったと、野村は当時の心境を振り返る。
「その経験があるから、いまでは万能ヘッドと呼ばれる鉄の塊ですらヘッドに磨き上げる腕が備わりましたし、プロからどんな厳しい要求を出されても動じることがなくなりましたよ」。

 

ちなみにプロ選手の厳しいオーダーとは、どのようなものか。野村によると、車でいえばファミリーカーをレーシングカーに変えてくれ、そんな世界でもあるという。それは不可能に近い作業ではないかと聞き返すと、野村の口調が厳しくなった。
「それをできない…なんていうようであれば、この仕事は辞めた方がいいですよ。むしろ難しい要求をされた方が、僕的には血が騒ぎます」。この強い信念、妥協を許さない姿勢こそ、野村が多くのトッププロから支持され続ける、ひとつの要因なのであろう。

野村とプロの信頼関係を語る上で、こんなエピソードがある。かつて鈴木亨プロがゴルフ雑誌の取材を受けたとき。鈴木プロが持参したバランス違いのウエッジ2本の重さを記者が量ってみたところ、なんと総重量がコンマ1gまでドンピシャで同じだった。
「その記者は非常に驚いたみたいなんですが、鈴木プロは平然とした顔で語ったらしいんです。“ミズノだから当然でしょ”って。その話を聞いたとき、ホント嬉しさが込み上げてきましてね」。近年はモノづくりの機械化が著しく進む時代。もしかしたらヘッド研磨もマシンが自動的に行う時代が到来するのでは…と問うと、野村はあり得ないと否定する。

終業時、全員で行うフロア掃除はクラフトルームの日課でもある。

「ゴルフクラブでも車でもなんでも、結局人が使うものじゃないですか。だからモノづくりで最後に必要なのは、やはり人の手だと思うんです。機械だけでつくるモノに、高い完成度は望めませんよ。皆さんもロボットがつくるラーメンなんて、食べるのイヤでしょ(笑)」。
どんなにテクノロジーが進化しようとも、長年にわたり磨き上げた人の感性にかなうものはない。野村が手掛けるミズノクラブ。そこには決して正確無比な技量だけではない、人としての温かみが、確かに息づいている。