社会人になって初めて知った、箱根駅伝で二度フィニッシュテープを切った経験の価値

2009年・2010年 箱根駅伝出場
高見 諒 Ryo Takami(ミズノ)

ケガの連続で、学生最後の箱根駅伝は出場ならず

ミズノでアパレル企画を担当する高見諒は、東洋大学在学時に2009年の第85回大会、2010年の第86回大会の箱根駅伝に出場した経験を持っています。しかも、どちらも最終10区を担当し、二度ともフィニッシュゴールテープを切るという希有な経験をしました。
「中学生で陸上競技を始めて以来、ずっと箱根駅伝が目標でした。しかし、まさか本当に走れるとは思っていませんでしたし、優勝のフィニッシュテープを二度も切る経験ができるなんて想像すらしていませんでした。大学入学当時は出場が目標でしたからね。就職後にようやく、箱根駅伝で二度も優勝した価値の大きさを実感することが増えてきました」
箱根駅伝出場をめざして大学生活を送る中で、最大の壁となったのは4年生の時。
「2年生、3年生と2年連続アンカーとして箱根駅伝の優勝テープを切らせてもらい、4年生では駅伝主将まで任せてもらいました。でも、4年生の箱根駅伝は走ることができなかったんです」
4年生になってからは、ずっとケガの連続でレースに出ることすらままならない状態だったにもかかわらず、箱根駅伝のチームエントリーのメンバーには高見の名前がありました。ところが同エントリーメンバー発表時点で、本番で走らないことがほぼ決まっていたといいます。
「実は、事前に私から監督に『チームエントリーのメンバーから外してほしい』と伝えたぐらい、ケガの状態が良くなかったんです。すると監督は『走れないのはわかっている。チームエントリーのメンバーとして後輩のそばに寄り添う中で、アンカーの経験を伝えてほしい』と」
箱根駅伝当日に走ることがないにもかかわらず、走る前提で準備を進めながら後輩に経験を伝えることになった高見。そんな難しい役回りをこなせたのは、「自分がいなくてもチームは勝てる」という自信でした。
「正直、100%の状態でもメンバーに選ばれないかな、と思うぐらい後輩たちが強かった。『自分がいなくてもチームは去年より強い』という確信があったので、ただひたすらチームの勝利のために自分の役割を全うできたんだと思います」

恩師の教えを守れない…箱根駅伝アンカーを襲う極度の緊張感

中学生時代から箱根駅伝に出場することをめざしてきた高見は、その夢を実現するため『最悪の結果を高いレベルに保つ』という意識を持って練習していたといいます。
「選手には必ず調子の波があります。常に最悪の調子を意識して、その状態でも大崩れせずに最低限の結果を残すことを意識して練習していました。決して派手なレースはできませんが、安定した結果を残せる選手をめざしていたんです。そんなところを見込まれて10区に選ばれたのかもしれませんね」
アンカーには独特のプレッシャーがあり、特に総合優勝がかかった時は、沿道も含めて独特の雰囲気があるそう。
「大舞台のアンカーで安定した走りをするには、大崩れしないように走る練習が必要だと思います。それを知っているからこそ、テレビでアンカーの選手が抜かれて総合優勝やシード権を逃すシーンを見ると、思わず感情移入してしまいますね」
現在はアパレル企画という陸上競技とは無縁の分野での仕事ですが、陸上競技の選手時代に教えられた言葉が常に頭の中にあるといいます。
「中学生から陸上競技を始めたんですが、最初から結構長距離には自信があったんです。でも中学生時代は不安だらけで、後ろをキョロキョロ見ながら走っていました。すると先生が『もう二度と後ろを見るな。後ろを気にせず前だけ見て走れ』と言われたのをずっと覚えていて、現役を引退するまで意識して守るようにしていました。この言葉は今の仕事でも通じるものがあると思っていて、あまり後ろを振り返らず、前だけを見て仕事に取り組むようにしています」
実は、そんな高見もたった一度だけその約束を破ったことがあるそう。
「唯一、箱根駅伝の1度目の総合優勝の時、最後のフィニッシュ前の直線で1度だけ後ろを見ちゃいました(笑)。差があまりなかったのもありますが、もう不安が強すぎてガマンできなかったんです。あれほど責任が重い役割は、社会人になった今でもまだ経験できていません(笑)」

REACH BEYOND TIME

ミズノ ウエーブエキデン

箱根駅伝を走った思い出のシューズ

実際に箱根駅伝を走ったシューズと同じタイプを一足だけ残しているという高見。学生時代は同じシューズを複数持っていたものの、すべてレースなどで履き潰してしまったとか。
「通常は0.5cmピッチですが、これは選手用なので0.25cmピッチで作られています。当時の私は走りが踵から接地するピッチ走法だったので、ソールはグリップ力を重視したソールを選んでいました」
大学生時代は、普段の練習時は練習用シューズを履いても、レース用シューズは1か月程度で履き潰していたそうです。実は、このシューズが縁となってミズノへの入社を決めたそうで、そういう意味でも大切な一足になっています。