年齢や気分、調子に合わせた丁寧なサポートのおかげで、試合や練習に集中できた

2018年10月、日本女子卓球界を長らく牽引してきた福原愛選手が引退を表明しました。今回は、福原選手が14歳から引退するまでの期間を、ミズノの選手サポート担当として傍らで見守った玉山茂幸と、これまでの卓球人生におけるエピソードや、これからについて語り合っていただきました。

いつも安心して取り組める環境を用意してくれたから、プレーに集中できた

――選手サポート担当といえば、使用用具やウエアに関する選手からの要望を開発チームへフィードバックする、いわば選手とミズノの架け橋のような存在ですが、15年に渡って福原選手の担当を務めてきた玉山との思い出を教えてください。

福原 : 14歳の頃からずっと玉山さんにお世話になってきました。10代の反抗期も、がんばって大人になろうとしていた時期も、いつも我慢強くサポートしてくれました。大きな大会前や代表合宿などでは、ピリピリすることもありました。でも、玉山さんは絶妙な距離感で温かく見守ってくれて、常に選手ファーストでした。練習や試合に集中するあまり、ウエアを忘れてしまった時、玉山さんがスッと予備のウエアを渡してくれて(笑)

玉山 : 実は、それ以降密かに毎回カバンに予備を準備してました(笑)

福原 : 実は忘れ物をしてしまったことはそれ以降も何度かあったのですが、その都度助けてくださって。いつも安心して練習や試合に集中できる環境をいつも作ってくださいました。ですので、それに甘えてしまっていた部分もあったかもしれないぐらい。それでも、普通の感覚で「ダメなものはダメ」とはっきり叱ってくださった。今思えば、選手も『ひとりの人』として扱うという気遣いですよね。そんな玉山さんの気遣いには頭が下がるばかりです。

玉山 : サポート冥利に尽きる言葉、ありがとうございます!

――シューズやウエアについてはどのような要望を出していましたか。

福原 : 2014年、ケガをして東京で開催される世界卓球選手権団体戦を欠場してしまいました。この出来事をきっかけに、自分の意識に大きな変化が起こったことを覚えています。実は、それまではシューズやウエアに対して要望らしい要望を出したことがなくて、シューズが滑らないか、足に当たって痛くないか程度だったんです。あ、あとはカワイイかカワイくないか。こっちの方が重要だったかも(笑)

玉山 : 懐かしい!そういう時期もありましたね。ピンク色やハートが好きでしたよね。

福原 : 10代から20代前半の頃は、靴紐をキラキラさせてほしいとか、そんな要望ばかりしてましたね(笑)。でも2014年のケガ以降は、自分の身体の感覚に敏感になりました。その結果、アッパー部分を強化してブレにくくしてほしいとか、ソールを部分ごとに変えてほしいとか、靴紐の長さや太さを変えたいとか、いろいろと要望を出させてもらうようになりました。ようやく玉山さんと本来するべき話ができるようになったんです。

玉山 : 2014年当時、シューズには絶対の自信を持ってお渡ししていた分、ケガをした時は私たちもショックでした。実際にはシューズとケガの因果関係はなかったのですが「もっと良いシューズが提供できていたらケガをしていなかったかも」という気持ちになったのも事実。でも、確かにあのケガ以降、要望の内容が大きく変わりましたね。どこに違和感があるのか、どこをどう調整したいのか、具体的に伝えてくれるようになりました。

福原 : 強化テープ1本を入れるか入れないかで何度も試作品を作ってもらい、試行錯誤したのも懐かしい思い出です。

玉山 : 私たちはお付き合いが始まった当初から改善や試行錯誤を繰り返してきましたが、福原選手が改善点を意識しないようにあえて伝えないことも多かったんです。伝えても「良くなってるから、ちょっと履いてみて」と言うぐらい。すると「カワイイ!」という返事が返ってきて、慌てて「いや、そこじゃなくて!」というやりとりをしたのも懐かしい思い出です(笑)

オフタイムから急にオンのスイッチは入れられない

――練習や試合といったオンタイムとオフタイムは、きちんと線を引く方でしたか。

福原 : はっきりと分かれるタイプです。オフの時に、スイッチをオンにしようと思ってもならないぐらい(笑)

玉山 : それが福原選手の長所であり、凄いところですよ。練習中は声も掛けられないくらいのオーラを出していたのに、練習場を出て「さっきの練習で…」なんて振り返ってるの、見たことありませんから。練習場を出た瞬間に「今日は何を食べようかな~」って。「さっきめっちゃ悩んでたやん!」って心の中でツッコんでました(笑)。逆に休憩中に大笑いしていても、練習場に入った瞬間、人を寄せ付けないオーラが出る。だから福原選手の場合は、練習場に入った瞬間にスッと離れるようにしていました。

福原 : 確かに切り替えが早いとか、練習中は近づきがたいって、よく言われていました。

――オフタイムはどんな風に過ごすことが多かったのですか。

福原 : 世界中を転戦していた時は、オフ自体が少なかったのもありますが、食べるか、買い物するか、あるいは寝るかくらいでした。

玉山 : 世界中を転戦する卓球選手は、みんな練習、試合、そして移動の繰り返しですよね。

福原 : 半日休みができて、スーパーマーケットで買い物ができるとなったら、もうウキウキでした。髪留めを買えただけで、もう嬉しくてキャッキャ騒いでましたから(笑)
ちなみに今は子育て中心の生活です。その中では、主人が娘とお揃いの服を着るのが好きなので、その服を探すのが一番の楽しみですね。

卓球から学んだこと、魅力、面白さを伝えたい

――最後に今後の目標や夢についてお聞かせください。

福原 : 27年間卓球に携わってきて、多くの方に助けてもらい、多くのことを学ばせてもらいました。これまでの経験や卓球の面白さをより多くの人に伝え、卓球をさらに多くの人に楽しんでもらえるスポーツにしていきたい。そのために、何かしらのお役に立ちたいと思っています。

玉山 : 私はスポーツが好きでミズノへの入社を決めました。その会社員人生の多くを福原選手や卓球とともに過ごしてきた。3歳と80歳がまったく同じルールで戦えるスポーツって、卓球以外になかなかありません。これまでの経験を生かして、そんな「三世代スポーツ」としての楽しさや面白さを広めるお手伝いができれば嬉しいですね。

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日本での試合

勝ちたい想いが格別に強かった

「世界中を転戦しながら戦うことが多く、日本では日本選手権とジャパンオープンぐらいしか出場できなかった」と語る福原選手。だからこそ日本で開催される大会は、絶対に勝ちたいという想いが強かったとか。特に東日本大震災で被害を受けた地域での試合は、自分の故郷に近いというだけではなく、勝利で被災地の皆さんを元気づけたいという想いを持って試合に臨んでいたそう。

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