難関を乗り越えることが、歴史に足跡を残すストーリーになる

バスケットボール選手
折茂 武彦 Takehiko Orimo(レバンガ北海道)

『やらない』よりは『できない』ほうが、
良い

プロバスケットボールリーグ『B.LEAGUE』でプレーする折茂武彦選手(レバンガ北海道)は、日本バスケットボール界初の選手兼クラブ代表です。2019年1月には、国内トップリーグでの通算1万得点を記録。日本代表として数多くの世界大会を経験し、トヨタ自動車時代はリーグ連覇を経験などの輝かしい成績以上に、49歳の今まで歩んできた、そのキャリアは異彩を放っています。
「僕は『やらない』よりは『できない』ほうが、良いと思っているんですよ」
いつも、環境を言い訳にすることなく、環境さえ変えてきました。日本大学で日本一になり、1993年にトヨタ自動車(現、アルバルク東京)に入社し、日本代表でもプレーしました。しかし、当時の所属クラブは弱く、悩みました。 「負けることが嫌いなはずなのに、負けることに慣れてしまいそうで嫌でした。当時は、まだプロリーグがなく、チームを持つ会社の社員になって、30代で引退したら社業に専念するのが当たり前。でも、僕は、入社2年目で思い切って、社員ではなく、バスケットボールだけに専念する契約選手として再契約をしてもらいました」
バスケットで人生を切り拓いてきた者として、このチームに何かを残したいという思いで、将来の安定を捨てて、不退転の決意でチームを改革しようと取り組み始めました。
「外国人選手は? コーチは? 練習環境は? 『勝つために』どうすればいいか考え、とにかく自分で動きました。改革を始めて4年で優勝できましたが、それまでの5年間が、僕にはすごく長かったです。一人で変えるのは難しく、たくさんの人を巻き込んでいきました」
折茂選手は「ただの負け」を嫌いました。失敗を成長の糧にするものは、本気の工夫と挑戦です。
「人より多く失敗して、いろいろなことを学ぶんです。負けたときは、いっぱい考える。次は絶対に負けないぞと思えば、成長の度合いが違う。負けたときの残像を払しょくするには、勝つしかない。先に、無理だと思えば、失敗します。でも、『自分がこの世界で生きていくために何が必要か』と考え続けられる選手は、この世界で生きていけると僕は思っています」

必要とされている以上は、がんばれる

トヨタを常勝チームにした後、転機が訪れました。2006年、企業とは別の法人が運営する初のプロチーム「レラカムイ北海道」が発足。プロ選手が一つの目標だった折茂選手は、14年間在籍したトヨタ自動車を離れて移籍しました。しかし、2010-11シーズンに、経営難が発覚。新たな運営会社候補も、11年3月の東日本大震災の影響で撤退しました。折茂選手は移籍をするのではなく、自費を投じて選手兼任代表として「レバンガ北海道」を創設するという前代未聞の行動で、チーム運営を引き継ぎました。
「北海道に来てからは、たくさんの人に応援してもらって、声をかけられるようになりました。プロって、こういうことかと。誰かに必要とされることが、一番大きい。少ない人数でも、必要とされている以上は、頑張れる気がしました。まだ勝てていないから、恩返しはできていない。でも、何十年も先まで、愛されるクラブ、チームを目指して、応援されるようになっていければいいなと思っています……オレ、こんなに良いこと言う奴じゃなかったんだけどな……」
北海道に来た当初、プロ選手としてコート外のイベントに出席することが嫌だったそう。しかし、人に知ってもらうことで、少しずつ応援が増え、力になるサイクルが生まれました。優勝する、プロになる、期待に応える。自分が目指すものへ、何回転んでも前を向いて進んできました。スポーツとして、サッカーや野球に追いつきたいと思っていた折茂選手は、プロリーグの世界をコートの中から見ている今が一番幸せだと言います。
「スポーツ選手は、ストーリー性がないと面白くないと思うんですよ。だから、自分がやってきたことのストーリーを作っていきたいという想いは、ありました。それが何かを残すことなのかな、アスリートとして。トヨタが強くなったことも、選手なのに代表としてレバンガを立ち上げたことも、今では僕自身の大切なストーリーになっています」

REACH BEYOND ITEM

Tシャツ

遠征準備は、おしゃれを気にする女の子のような一面も

折茂選手は、2泊3日の遠征に、Tシャツを5枚も持っていくなど、チーム内では荷物が多いことで有名。「なんで多めに持っていくのかと聞かれても、自分でもよく分からないんですけど、昔からそうなんですよね。女の子みたいな話になっちゃうんだけど、身だしなみを整えるものを色々入れたポーチなんかは、遠征には絶対に持っていかないと落ち着かなくなっちゃうんですよ」と照れくさそうに笑いながら話してくれました。