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Interview : Ryoji Tsuchiya of Rock Steady Crew 歴史あるHIP HOPクルーに在籍するミズノ社員 Vol.2

ミズノ社員として働きながら40年の歴史を誇るHip-Hopシーンのパイオニアである『Rock Steady Crew』に所属する「土屋 亮二」。クルーのメンバーをはじめ、Hip-Hopシーンにおいては「2ucci」の愛称で知られる土屋氏に『Rock Steady Crew』への加入のきっかけとなった出来事や、クルーとの印象深い思い出、シーンの変化などをVol.2では掘り下げていく。

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- 主要メンバーとの思い出深い出来事は -

私は日本で“RockmanSERIES”という活動を主宰していて、年に4回程イベントも開催しています。‘Hip-Hopカルチャーを通じた、自由でボーダーレスなコミュニケーションの場’がテーマで、生バンドのライブ等もあるこのイベントのスペシャルゲストとして、『Rock Steady Crew』の「Crazy Legs」や「DJ Scheme Richards」に出演してもらいました。自分のイベントに『Rock Steady Crew』のメンバーを呼ぶなんて、Hip-Hopを始めた時のことを思い返すと夢のような話でした。イベントを楽しんでもらえて、自分がこの活動を通じて伝えたい事を理解してもらえたことは、誇りに思っています。

そして、昨年2016年12月に開催した自身のイベントで、リーダーである「Crazy Legs」から認められ、『Rock Steady Crew』のメンバーに加入しました。

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Rock Steady Crew 40th Anniversary / Photo:Joe Conzo Photography

また、実は私は股関節の骨が変形している先天性の骨格の問題があって、本来ダンスをするには向いていない体なんです。左足はちゃんと開脚出来ないし、足の長さも違う。医者には‘運動するなんて問題外!’と言われたこともあります。それでも若い頃は、‘これも個性だ!’と言い張って頑張れたのは、Hip-Hopのいいところですね。笑 今ではそれが自分のダンススタイルになったりもしています。
更に、膝に大きな怪我を負って手術もして‘いつか踊ることが出来なくなる’と考える中、視野を広げるきっかけをくれたのが、現在副リーダーを務めているメンバー「Ynot」の活動でした。

彼はダンスを中心として活動していますが、音楽やアートの感性も非常に高いレベルで持っているんです。BREAKINGにおいては稀に見る音楽性で独自のダンススタイルを確立し世界中に影響を与えていたり、その傍ら美術という世界でも学びを継続していてクリエイターとしての意識も高い。自分の人生で得た感覚を研ぎ澄まし、そして新たな自分の価値観を世へ発信し、未来を創る。そこに純粋なHip-Hopカルチャーの価値や意義を再実感したんです。そんな気付きやインスピレーションをもらい、彼と初めて会った時に口にしたのは感謝の言葉でした。

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Photo:Etien Photography

そして、1993年に初の日本人メンバーとして認められた「Masami」さん。20周年となる『RSC MASAMI STUDIO』を錦糸町で運営し、次世代を担う子ども達に本流のHip-Hopカルチャーを教えています。“ダンス”にフォーカスするのが主流となった最近の日本のスタジオシーンの中で、大切なことがブレていない、自分にとってのお手本です。『Rock Steady Crew』の海外メンバーを招いたワークショップを開催するなど、日本ではなかなか経験出来ない貴重な機会を企画していて、私も沢山お世話になりました。そんな「Masami」さんの教え子であり、『Rock Steady Crew』の将来を担うメンバー「YouTee」と「Reimi」とは、世代を越えたコミュニケーションをとっています。

そしてスイスのメンバー「Jazzy Jes & Ez Mike」の二人は、共に時間を過ごす中で自然とフィーリングが合う仲間。毎年プエルトリコやニューヨークなどでも行動を共にし、沢山の思い出があります。まだまだメンバーはいますが、『Rock Steady Crew』のメンバーからは人としての魅力を感じ、リスペクトしています。

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2ucci, Reimi and YouTee at Rock Steady Crew 40th Anniversary / Photo:Robert Adam Mayer

- チーム発足当時と現在のダンスシーンはどのように変化を遂げたか -

Hip-Hopカルチャーは、身近な生活の一部の遊びとして子ども達の間で生まれたものです。家の前のストリートでのダンスやRAP。DJという音楽要素やGRAFFITIというアートと共に、公園や住居のレクリエーションルームでパーティー(ブロックパーティー)として楽しまれていました。
そしてダンス“BREAKING”は、ブロンクス地区内の敵対する者同士の優劣を決める一つの手段(ダンスバトル)として用いられるようになり、進化し確立されていきました。

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Cypher in BRONX, NYC / Photo:Etien Photography

また、Hip-Hopカルチャーには、その場の誰もが参加可能な、即興で自分を表現し合う“Cypher(Cipher / サイファー)”というコミュニケーションスタイルがあり、ダンスの場合はサークルを作りその中に踊りたい人が出て好きに踊るという形で行われていました。そこでは、負けじと技を競いあったり、時には喧嘩になったり、インスピレーションを与え合ったり、共に楽しむ空間となったり、様々なことが起こりえる空間です。この時代までは審査員というような立場の人はいなく、その場に立つ者同士で完結するコミュニケーションでした。

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Cypher at the party of "RockmanSERIES" / Photo:Photographer SHINTARO

その後、時が経つにつれて“BREAKING”を行う人が世界中に増えていき、審査員をたててダンスバトルを行うイベントが1990年頃から広まり始めます。コンテストという形式も取り入れられ、ダンスコンテンツを主体とするイベントが2000年以降急激に増加します。それと同時に、Hip-Hopカルチャー内にも多種多様なスタイルのダンスが、その時代の音楽とリンクしながら生まれていきました。

現在は、ダンススタイルを問わず様々なコンテストやバトルイベントが、世界大会から街単位のローカルなものまであり、他にも舞台公演やステージショー、Hip-Hopカルチャーを共有するコミュニティーイベント、次世代教育、部活動、そしてユース五輪の競技など、様々な形に広がっています。Hip-Hopカルチャー以外のダンスと融合する場面も増えています。

Vol.3へと続く

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