「ミズノの歴史に触れてみよう!」

ミズノは来年で創業110年を迎えようとしています。(年が明けたばかりに来年の話ですみません)
そこで、今回はミズノの一世紀にわたる歴史の中から、エピソードとクイズをお届けしたいと思います。

ミズノ創業者の水野利八は1884年(明治17年)に岐阜県大垣市に誕生しました。幼少期を大垣で暮らし、1896年(明治29年)に大阪・道修町の薬種問屋に丁稚奉公に出るのです。
わずか12歳の子どもが親元を離れ奉公に行くのです。当時では丁稚奉公というのはよくある話だったのですが、現在の小学生や中学生をみていると、とても考えられないことですね。おそらく古くから続く企業の創業者は、利八のように丁稚奉公に出た人は多いのではないでしょうか。

利八は4年間薬種問屋で奉公した後、京都の織物問屋に移ります。奉公で商いのいろはを学び勉強し、やがて1906年(明治39年)4月1日に弟の利三と二人で大阪北区に創業し、洋品雑貨のほか野球ボールを販売します。ミズノの歴史の始まりです。

  • 看板の文字の日本語は右からの横書きですね。

ここでクエスチョン。創業当時の店名はどれでしょう?
  • 1.美津濃運動具店
  • 2.水野兄弟商会
  • 3.美津濃運動具商店
  • 4.水野兄弟商店

4月1日はミズノの創立記念日となっており、今では大阪本社で行われる創立努力記念日の式典が全営業所に中継されます。社員一同社歌も歌います。
『♪♪ 朝日は~ の~ぼ~る~(昇る) アジアの~東~ ♪♪』
こんな歌い初めなんです。

  • 1910年(明治43年)に店舗を梅田新道に移転し、「美津濃商店」と改名します。

利八はアイデアマンで、面白い広告活動もしました。当時来日したシカゴ大学の野球チームと早稲田大学などのチームとの試合に、弟の利三と二人赤シャツを着て大声を張り上げ応援したそうです。すると「あれが梅新で運動服装売ってる美津濃のおっさん」と学生達の間で話題となり、赤シャツの応援が流行。赤シャツが飛ぶように売れたそうです。
後にミズノは1918年(大正7年)に"勝ったシャツ"から"カッターシャツ"と商品名をつけ販売するのです。他にも色々ミズノがネーミングをつけた商品があります。今では当たり前になっているものもありますよ。実は"ポロシャツ"もミズノがつけたネーミングなんですよ。

ここでまたクエスチョン。下記の中でミズノがつけたネーミングはどれでしょう?
  • 1.セカンドバッグ
  • 2.ショルダーバッグ
  • 3.サブバッグ
  • 4.ボストンバッグ

1923年(大正12年)、美津濃商店は「美津濃運動用品株式会社」に改名します。1926年(大正15年)から大阪・淀屋橋に新社屋の建設にとりかかり、翌年の1927年(昭和2年)7月に社屋は完成しました。その新社屋が今もある大阪本店です。鉄筋地下1階、地上8階という当時の建築法限界の高さで、大阪で7番目に出来た再高層ビルに多くの見物人や新聞の記事になったそうです。

  • 「美津濃運動用品株式会社」の店舗写真です。
    大阪・淀屋橋の1927年の風景です。
    洋服や着物の人々、橋の上には「車」「人力車」「牛車」も写っています。文明の変遷がこの1枚に凝縮されていますね

下記は現在の大阪本社のスポートロジーギャラリーに展示している、当時の広告の複製です。