INTERVIEW原動力インタビュー

ミズノ製ジャンプスーツが冬の空を舞う。その光景が原動力

スキージャンプ競技選手担当

小田 正紀

ものづくりチームのスタッフに選手の感覚的な要望をわかりやすい言葉に“翻訳”して伝えるのが、私の最も重要な仕事のひとつなんです。

ウィンタースポーツの中でも人気種目のひとつ、スキージャンプ。競技に取り組む選手の窓口となる販促担当の小田正紀は、自らもスキージャンプ選手だった経歴を持つ。

「選手がミズノ製のジャンプスーツを着用して、好成績を挙げてもらうことが私のミッション。ジャンプスーツは、選手ごとのオーダーメイドなのですが、ものづくりチームのスタッフに、スーツに関する選手の感覚的な要望をわかりやすい言葉に“翻訳”して伝えるのが、選手経験もある私の最も重要な仕事のひとつなんです」

そんな小田のサポート活動もあり、今では多くの選手がミズノのジャンプスーツを着用しています。しかし、日本中が沸いた1998年の長野では、日本のジャンプチームでミズノのジャンプスーツを着用した選手はゼロでした。

「ジャンプスーツの性能は、他社に決して負けていないはずなのに誰も着てくれない。悲しくて悔しかったですね」

しかし、1999年から小田がナショナルチームのアシスタントコーチを務めることになって状況に変化が。

「ルール改正により、体型に合わせてスーツを調整する必要が出てきました。でも、遠征先から日本に送り返してスーツを調整したのでは間に合わない。結局、帯同メンバーでかつメーカー担当者でもある私が、現地で調整することになったんです」

ミシンの経験は皆無だった小田だが何日も徹夜を重ねて独学で使い方を学び、気がつけば多くの選手から頼られる存在となっていた。

「ヨーロッパ遠征などで寝食を共にしながら、ひたすらミシンで調整する日々でした。すると、2006年頃からミズノ製ジャンプスーツを着てくれる選手が少しずつ増えはじめ、ついに2010年のバンクーバーでは、出場選手全員がミズノ製スーツで飛んでくれた。これは嬉しかったですね」

未経験だったミシンを独学で学び、何日も徹夜して選手のスーツを調整。何が小田をそこまでさせたのだろうか。

「責任感ですね。メーカー担当者として『できません』の言葉は口が裂けても言えなかった。自分の存在、ひいてはミズノの存在を認めてくれる選手のためにできる限りのことをしたいと考えていました。その結果、1人でも多くの選手がミズノ製スーツを着てジャンプする姿を見せてくれること、これが一番の仕事の原動力になります」