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INTERVIEW WITH THE MTC 室伏 広治

〜新たな出会いが世界記録への引き金に〜

―― 世界記録が目標に

室伏広治 「世界記録は十分にチャンスがあると思う」

室伏広治は03年に84m86の世界歴代3位を記録し、現役選手では最高記録保持者となった。そして、まだ記憶に新しい昨年のアテネ五輪。日本の投てき選手としては史上初の金メダルを獲得し、世界の頂点に立った。いよいよ、ユーリー・セディフ選手(当時ソ連)の世界記録、86m74を目標とするところに来たのである。

「ハンマー投を始めた頃は、世界歴代3位まで来ることさえ、思ってもいなかったですね。まさか、自分にこんな可能性があったとは…。色んな出会いがあり、周りの支えがあり、それを大事にしてきたから、ここまで来られたのだと思います。親父(中京大の室伏重信監督。ハンマー投アジア大会5連勝。「アジアの鉄人」の異名をとった)や瀧田先生(成田高校時代の恩師の瀧田詔生監督=故人。同高をインターハイ総合優勝争いの常連にした名指導者)に出会えたことは、運命的としか思えないですよ。こんな自分を迎え入れてくれて、自分もそういった人たちに感謝して、努力もして、その結果が84m86まで来たんです」

  本人の話には数字が少し出てくるだけなので、ここで改めて、室伏の達成してきた実績を紹介しよう。

1998年 : 重信氏の日本記録を更新。アジア大会優勝
2000年 : 80mを突破
2001年 : 世界選手権銀メダル。アジア記録の83m47
2002年 : 世界グランプリ優勝。アジア大会2連勝
2003年 : 世界選手権銅メダル。世界歴代3位の84m86
2004年 : アテネ五輪金メダル

室伏の達成してきたことは、日本陸上界にとって金字塔といえることの連続だった。投てき種目のメダルは、オリンピックと世界選手権を通じて史上初めてのことだったし(01年)、五輪金メダルはマラソン以外の種目では68年ぶり、戦後では初めての快挙だった。
五輪や世界選手権というチャンピオンシップとは別に、陸上界にはグランプリ・シリーズという、世界の主要都市で開催されるサーキット形式の試合がある。そのうち最もレベルの高い数試合がゴールデンリーグで、室伏は01年ローマ大会で同リーグ日本人初の優勝者となり、02年にはこれも日本人初めての種目別優勝を飾った。
父親の重信氏でさえ、室伏がハンマー投を始めた頃の体型(細さ)から、ここまでの成長は全く予想していなかったという。30歳となった今も、97kgの体重は、110kg以上が当たり前のハンマー投選手間では見劣りがする。体格的なハンディを補ってきたのは、生来のスピードと、ハンマー投に不可欠の回転センス、そして、飽くなき技術追求の姿勢である。その過程の節目節目には、室伏が言っているように“出会い”があった。

「本当に僕は恵まれていました。色んな選手や指導者と知り合い、新しい価値観に触れ、次の目標を設定することができた。セディフやリトビノフ(世界歴代2位の86m04・86年)のようになりたいと頑張っていましたが、色んな意味で厳しいとも思えました。でも、人生はチャレンジですから、1つのことができたらまた次、それができたらまた次と、ちょっとずつ上を目指して積み重ねてきたら、ここまで来られたんです。世界記録も“狙っている”のでなく、自然と目標になってきた。今やっていることで、チャレンジできるものになってきたと感じています」

―― トーガ・コーチとの出会い、新たな取り組み

室伏広治 しかし、セディフ選手が1986年に記録した86m74は、男子五輪種目では2番目に古い世界記録であり、後進を寄せ付けないレベルの高さである。室伏の84m86ともまだ、2m近い隔たりがある。それでも、室伏は「自然と目標になってきた」と言う。金メダルを取ったから、“次は世界記録を”という気持ちもある。だが、03年のシーズン後から師事している米国在住のアイルランド人、トーガ・コーチとの出会いと、それから取り組んでいる新しい技術への手応えが、室伏に自然と世界記録を口にさせた。

「アテネではミズノのサービスセンターにも、よく来ていましたよ。元々、ディール選手(米)のコーチなんですが、試合などでディール選手と話していると、共感できる部分が多かった。自分しか気づいていないだろう、と思っているようなことまで知っていたんです。ずっと、彼の練習拠点(オレゴン州ユージン)に行きたいと思っていて、それが実現したのが一昨年の終わりでした。そこでトーガ・コーチを紹介されたのです。非常に厳しい方で、僕には合っていると思いましたし、一緒にやっていて、本当に奥が深いなと思います。技術を変えているというよりも、基本に戻って作り直す作業なんです。これが大変なんですよ。ある程度の記録が出るようになると、勇気の要ることなんです」

  回転スピードの速さが室伏の特徴であり、武器でもある。国際グランプリ大阪やスーパー陸上など、日本で行われる国際大会を見る機会があったら、世界のトップ選手たちと、室伏の回転を見比べていただきたい。世界選手権などの生放送で、全選手の投てきが放映されることがあれば、テレビでもわかるだろう。一番に目につくのは、室伏の速さである。
ところが、トーガ・コーチはその回転を、ゆっくり始めるように指導した。ハンマーの飛距離を決めるのは、リリース(手から離れる瞬間)時のスピードである。その局面での最大スピードを獲得するには、最初からスピードを上げるよりも、徐々に回転速度を上げていく方がいい、というのがトーガ・コーチの考え方だ。ただ、これも表面的な現象を見ての言い方であって、室伏によれば、次のような説明になる。

「速い遅いというよりも、一個一個、ひとつの回転をなすことが大事なんです。確実に回っていくということですね。しっかりした円にならないとダメなんです。もちろん最後は、ハンマーヘッドは速くなりますよ。それは、トレーニングをしていく中でできるようになるんです」

  積極的に他の選手や指導者のトレーニングに接することは、重信氏も推奨していること。ただ、オリンピック・イヤーに技術を大きく変えることは、ある意味冒険でもある。重信氏も、見ていてヒヤヒヤしたと、アテネ五輪後に漏らしたことがある。
父の心配をよそに、室伏は五輪シーズンに技術を“作り直す”ことに踏み切った。それは、室伏が他人の意見を受け容れ、自分のものとして、新しいハンマー投を確立していく能力に優れているからだ。このことに関しては、後ほど詳しく触れるが、この新しい取り組みの最中に五輪金メダルという結果を得られたことが、世界記録更新への手応えとなった。アテネから帰国直後に、次のように室伏は話している。

「今から来年(05年)が楽しみです。再来年は、もっと楽しみですね。昨年(03年)の12月から新しいやり方に取り組み始め、今年はその基礎となるシーズンでした。その状態でこの結果を出せたのですから、今後は想像できないくらいに楽しみですね。これからが、ハンマー投人生で一番いい時期を迎えていくと感じています」

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