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INTERVIEW WITH THE MTC 内藤 真人

男子110 mHはMTCから2人のアテネ五輪代表を送り出した。7月の南部記念で1・2位を占めた内藤真人と谷川聡。32歳の谷川が2回目のオリンピックであるのに対し、入社2年目の内藤は世界選手権こそ2度の経験があるが、オリンピックは初出場。故障のあった苦しいシーズン前半戦から、どう立て直してアテネ五輪に臨もうとしているのか。そして、合宿中に見られた内藤の成長の証とは――。

―― 練習を信じてアテネへ

内藤 真人 ミズノトラッククラブが誇るハードルコンビ、谷川聡と内藤真人が真剣勝負に近い競り合いを展開していた。8月6日。雄大な富士山の麓、富士北麓公園陸上競技場で行われたアテネ五輪短距離・ハードル代表の最終合宿でのことだ。ハードルは10台フルに設置せず、5台くらいまで。後述するが、ハードル間の距離も、試合とは微妙に変えている。その練習を見ていると、スタートの得意な谷川が先行することが多い。

「世界で戦うための予行演習です。練習でレースを経験してしまおうという狙いですね。日本選手では間違いなく、谷川さんが一番嫌な相手なんです。僕が世界で戦うには、谷川さんと同じようにスタートから速く出なければダメでしょうから。それに、国際大会では体の大きな選手同士が隣り合わせになると、レース中に腕が接触することも多いんです。谷川さんの隣で走ることで、その対策も試すことができています」

  7月11日の南部記念に13秒60で優勝した内藤は、13秒67で2位に続いた谷川とともに、アテネ五輪代表に選ばれた。向かい風(0.6m)に雨という、悪コンディションのなかでの13秒6台が評価されての代表入り。しかし、そこまでの道のりは険しかった。
内藤は3月の世界室内選手権60mHで室内日本タイを出した直後に腰を故障。さらに、5月の水戸国際では内藤自身が課題に挙げた“接触”により転倒してしまい、膝を強打してしまった(しかも、その相手は谷川だった)。強行出場した6月の日本選手権は3位。代表決定が南部記念にまで持ち越されたのは内藤にとって幸運だったが、日本選手権後も故障が続き、「初めてグラウンドに行くのが嫌になった」という状況だったのだ。

「冬期練習がしっかりできていたので、日本選手権も南部記念も、悪いなりにその時点の力が発揮できたのだと思います。苦しかったですけど、やってきたことが間違いではなかったと確認できました。それと、精神的に開き直れたのもよかった。スタートラインに着くとき、不安があったらダメなんです」

  南部記念からアテネ五輪本番まで1カ月余り。故障が続いた3月以降、思った通りの練習ができていないのは事実だが、今の内藤に不安を抱えている様子は感じられない。

「富士北麓の合宿ではハードル間を、昨年13秒47(日本記録)を出したときの練習と、同じタイムで走れています。まだ安定はしていませんが、区間によってはそのとき以上。調整次第では(日本記録以上に)行けるんじゃないかという感触があります。1次予選で南部の13秒60を上回る13秒5台は絶対に出せます。そうなれば2次予選では13秒4台も行ける。そして準決勝で(決勝進出可能な)13秒3台に、というプランです」

  実際は、風向きなどの気象コンディションに左右されるので、この通りの数字が出るとは限らないが、その記録を出すための動きは可能になると内藤は感じているのだ。故障で試合が少なかった影響もあり、「1本、新しい感覚をつかむレースをすることで、その上のレベルの感覚がつかめるはず」だと内藤は言う。それは、ミズノに入社した昨年、13秒47の日本記録を出したときの経験から言えることだ。
今年ほどひどくはなかったが、昨年も5月に故障をして6月の日本選手権は3位と敗れた。その後1カ月の間に京都府選手権、愛知県選手権、南部記念と3週連続で試合に出場したが、2戦目の愛知県選手権で日本新をマークした。そのとき予選・準決勝・決勝と3ラウンドをこなし、予選で13秒6台、準決勝で13秒5台、そして決勝で日本人初の13秒4台をマークしたのだった。

「13秒3台というのは決して楽なことではありませんし、故障で練習の中断もありました。でも、今年の僕の動きを出し切れたら可能性はあると思っています。オリンピックが絶対にピークになっているはずなので、予選からしっかりシーズンベストを出して、春先のケガを吹き飛ばしたい。これからは精神状態も重要になります。自信を持ってスタートラインに立たないことには世界と戦えませんからね。自分のやってきた練習を信じて、アテネのトラックに立ちたい」

―― 転機となった2001年

 内藤を語る上で欠かせないのが、13秒50の日本新をマークした2001年である。当時、法政大学の3年生。5月の関東インカレで13秒69と谷川の学生記録を更新すると、6月の日本選手権に13秒65で初優勝。8月の世界選手権は13秒7台だったが準決勝まで進み、同月末の北京ユニバーシアードは決勝進出(キューバ選手と接触して転倒)と、国際舞台でも活躍する選手となったのだ。9月のスーパー陸上で13秒62とさらに更新すると、10月の宮城国体では13秒50と、谷川の持つ日本記録(13秒55)を一気に破ったのである。

「4年前(2000年)は13秒台を初めて出しましたが、まだ、谷川さんの背中を見ているだけの選手でした。勝てるなんて、これっぽっちも思わなかったですね。外国選手が日本に来ても、速いなあ、と見ているだけ。意識が世界に向いたのが、2001年でした。春に記録が伸びて世界選手権に行けるかもしれないと思い始め、世界選手権に行ったら、世界のトップで走れる楽しさを経験できました。2001年のシーズンがあったから、今も陸上競技を続けているのだと思います。人生の転機となった年でしたね」

  一気に、世界を意識する選手になったのだ。実際、13秒50はその年の世界リスト31位。世界選手権でその記録を出せば、準決勝突破も可能なレベルなのだ。しかし、翌02年は春季サーキットで13秒55台を出したものの、故障でアジア大会代表を逃してしまった。ただ、内藤の感覚としては、思った動きができなかった春先に自己2番目の記録(当時)が出たことで、地力が上がっていると確認できた。

―― 短いハードル間で練習する意味

内藤 真人 前述のように03年に自己の日本記録を塗り替えた内藤だが、更新幅は0.03秒。決して僅かの更新というわけでもなかったが、本人にはその意識もあるのかもしれない。しかし、内藤は「01年の僕と今の僕がレースをしたら、今の僕が勝ちますよ」と、きっぱり言う。
「3年前も記録は出していますが、未熟だったと思います」とも。
ストレートな形ではないが、冒頭で紹介した合宿の練習にも、3年前との違いが表れている。それは、ハードル間の距離。正規の9.14mよりもシューズ1つ分短く、ハードルを設置しているのだ。

「以前は正規のインターバルで練習していましたが、昨年、13秒47を出した頃はもう、短い距離に変更していました。というのは、最近は刻む動きを重視しているからです。ハードルへ攻撃的に向かっていくには、遠くから踏み切る必要があるのですが、01年頃はそれが上手くいくこともあれば、失敗して近くなっていることもありました。そうなるとスピードを殺して、極端に言えば飛び上がるような動きになってしまいます。試合になると練習よりも動ける状態を作りますから、踏み切り位置が近くなりやすくなるんです。それを防ぐために、練習ではちょっと短い距離で刻むイメージを強く持つようにしています」

  110 mHの記録短縮を考えたとき、いくつかの局面に分けて考えられる。スタートから1台目までの加速、ハードル間の走りのスピード、そしてハードリングの鋭さ(スピード)、最終ハードルからフィニッシュまでの粘り。もちろん、その全てが良くなるに越したことはないが、内藤が重視している刻みは、ハードル間のスピード自体よりも、全体の流れを良くするためだ。

「遠くから踏み切ると、極端に言えば鋭角に上から下へ突っ込むようなハードリングになります。着地でもその勢いを、インターバルの走りへつなげられるんですね。逆に、近いと腰が抜けたようになり、着地でも勢いが逃げてしまいます。踏み切りと着地で流れを崩さないようにするための刻みなんです。その安定度が、01年と今では大きく違います。3年前はまだ、フワフワ走っていた感じが多かったですね」

  当然、試合になって速い動きになると、ストライドが大きくなって踏み切りが近くなりやすい。それを防ぐための短いインターバルでの練習なのだ。内藤によれば安定度はまだ、昨年の日本記録の頃に及ばないが、上手くいったときのスピードは上がっていると実感しているという。アテネという最高の舞台で目指す動きができるかどうか。そのため本番まで繰り返していく技術チェック、速い刻みを可能とする体調、そして細かなことに動じないような精神面。それらをトータルした結果がアテネで表れる。そこで内藤が、何をつかんで帰ってくるか。後編ではそこから紹介したい。

後編 >>

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