競技人生の最終局面というものが実際に何年間あるのか、余人の知るところではない。定義の仕方も、人それぞれだろう。だが、MTCキャプテンの谷川聡が、その最終局面に向かおうとしているのは確かのようだ。
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釜山アジア大会の涙
30歳にして銀メダルを獲得した昨年10月の釜山アジア大会男子110
mハードル。そこには劉翔(中国)という、金メダル間違いなしの選手がいた。13秒12のアジア記録保持者でひとり、次元が違っていたと言っていい。劉以外の選手にとって2位は、考え得る最高順位。ベスト記録が13秒55(日本歴代2位)の谷川は、中国2番手の選手にも記録的には劣っていたのである。
そういった厳しい状況下での銀メダル獲得に、レース後、インタビューを受ける谷川の瞳が潤んでいた。故障に泣かされた2年間を偲んでのことだったが、試行錯誤した経験から結論を出した競技人生最終局面へのアプローチの仕方に、手応えを感じた瞬間でもあったからだった。
「自分の中で考えてきたこと、練習の中で1つ1つ確認してきたことが、少しですが試合で実行できた満足感がありました。新しい動きはいかに力を使わないで進むか、体全体をボールのように進めることができるか、がコンセプトです。この2年間、故障がありましたが、その原因は、以前のトレーニング・コンセプトに無理があったから。銀メダルは、先が見えてきたことの表れでもあったんです」
新しい方法を模索し始めたのは、2001年までのトレーニングでは「体が壊れる」と判断したからだ。消極的な気持ちから生じた結論ではない。単身、海外に留学するなど何事にも積極的に取り組み、陸上界屈指と言われるクレバーな選手でもある。その谷川が長年の経験から出した結論だった。
―― 5カ年計画の挫折から
谷川は初めて13秒台を記録した95年に、2000年のシドニー五輪までの5カ年計画を立てた。96年に13秒7台、97年に13秒6台、98年に13秒5台、99年に13秒4台、そして2000年に13秒30を出すというもの。自身、「楽観的で調子のいい計画」と評したこともある。しかし、筑波大の大学院生だった98年に13秒76の学生新(当時)、ミズノ入社1年目の99年に13秒55の日本新(同)を出したところまでは、1年遅れではあったが計画を実現に移していた。
単に、年を追う毎に記録を伸ばしただけではない。99年のセビリア世界選手権では13秒58を2次予選でマーク。この記録は日本選手が海外で出した最高記録である。大舞台で自己のパフォーマンスを出し切る勝負強さも兼ね備えた選手だった。
ところが、5カ年計画の最後の年、シドニー五輪では2次予選止まり。その年のベスト記録は13秒66と、目標の13秒30は距離にして3mほど先にあった。翌2001年のエドモントン世界選手権は予選落ち。年度ベストは13秒7台に落ち込んだ。表面的には、ハムストリング(大腿裏)の肉離れなどの故障が、順調な記録向上を阻んでいた。しかし、度々故障に悩まされた谷川は、もっと深い部分で停滞の原因を考えるようになっていた。
「このままじゃあ、体が壊れると判断しました。それまでは、まず最大筋力を大きくして、その上にスピードを養成する考え方でした。もちろん、今もそのやり方は使っていますが、それでは体が持ちません。最終目的は記録を出すことであって、ベースを大きくするのはいいんですが、それを、より走りに生かす方法を考えています」
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トレーニングの新コンセプト
その結果たどりついたのが、「力を出すときは板のようになり、力を抜くときは液体のようになるのが理想。液体というのは、どういう姿勢でも、行きたい方向に行ける状態です」という結論だった。具体的なトレーニングの違いとしては、日常生活における姿勢や振る舞い方にまで、気を配るようになった。
「歩くときや寝るとき、電車の中で立っているときの姿勢を、いかに効率よく進むかという視点から考えています。立っているときの重心の取り方など、以前はヒザと股関節でバランスを取っていましたが、今はお腹で取っていますね。筋力で解決しようとしていたことを、今は骨格を変えて筋力で補足するやり方です。そこから発展して、バーベルを持つときにどんな姿勢でどう持つか……スクワットをやるにしても、100通りの挙げ方があるんです」
筋力や走力がどうでもいい、と言っているわけではない。その逆で、姿勢を上手く作ることで、より速く走れるようになり、より力が発揮できるようになる、という考え方だ。「修行に近くなりましたね」と、笑顔で話す谷川だが、釜山での目の潤みは、“修行”が口で言うほどたやすいものでないことを物語っていた。
「以前はあれもこれもと、いいと言われるものは何でも取り入れてやってみましたが、今はそこまでやれなくなっています。自分の引き出しの中から、トレーニングとレースがつながると判断できるもの、自分の中でコンセンサスを得たものを実施しています」
谷川のコメントはどれも、選手としての成熟ぶりを物語っている。誰もが話せる内容ではない、到達できる競技レベルではないのである。ここまで成熟して来たら、競技生活の最終局面と言っていいのではないだろうか。
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