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INTERVIEW WITH THE MTC 今井 美希

今井美希が2001年9月に女子走高跳の日本記録、1m96を跳んだときのことだった。今井が各種メディアの取材に対し、色々なことを答えている。絶好調だった同年8月の世界選手権で失敗して、心身ともに大きく落ち込んだこと。MTC(ミズノトラッククラブ)の合宿で立ち直るきっかけをつかんだこと。助走の最後5歩のリズムアップだけを心がけたこと。そして最終的には、そういった技術面も含めて“気持ち”で跳んだこと。しかし、最も印象的だったのは「2m」という数字に対して見せた意欲の強さだった。

―― 2mへの情熱

今井美希 机の上に1円玉を2枚並べてみてほしい。その長さが4cmである。仮に全体が2mだとしたら、1円玉2枚の占める比率はたった2%。1m96の高さと2m00の高さを、20m離れた場所から見たとしたら、普通の人間に見分けがつく差ではない。しかし、その些細な差が、走高跳選手にとっては、人生を左右するくらいに大きな意味を持ってくる。

「本当に2mを跳ばないと陸上競技をやめられません。跳べなかったら自分がやってきたことは全て、意味がなくなってしまいます。努力してきたと思っている練習も、努力ではなくて単に、こなしてきただけのものになってしまうのです。以前は、気持ちのどこかで“これだけ努力したんだから”って、ある意味、逃げ道を作っていたところがありました。でも、会社に入って意識が変わってきましたね。いくら時間をかけて頑張っても、結果が出なければ無駄な労働になってしまう。結果を出すことで、過去の苦労が苦労として報われるんだって」

  今井がそれほどまでにこだわる「2m」という数字に、どのような価値があるのだろう。意地悪な見方をすれば、1m93と1m97の違いも同じ4cmなのである。

「2mは、アジアのトップであることと、世界の仲間入りを意味します。世界記録とはまだ9cmの差がありますが、実際の試合で2m00を跳べば、優勝することだってできる。本当に世界の仲間に入ったと言える高さなのです。できればオリンピックで2mを跳んで、メダルを取りたいですね。
それにやっぱり、好きな走高跳で一番になりたい。自分で言うのも変ですけど、私ほど走高跳を好きな人間って、見たことないんですよ。今2mを跳べたら、20年くらいは破られないと思うんです」

  ここまできっぱりと言えるようになった今井の競技人生を、その考え方とともに振り返ってみよう。

―― 中学生のときから揺らがない信念

 走高跳を始めた平針中学時代はまだ「2m」という数字は思い描いていなかったが、オリンピックに出たいという思いは、当時から旺盛だった。中学生の全国大会である全日本中学選手権では3年時(1990年)に2位。ベスト記録は1m73だった。
瑞陵高に進学後、現在も今井の専任コーチである阪本孝男氏(中京女大コーチ)に、不定期ではあったが指導を受け始めた。インターハイは1・2年と2位だったが、3年時には優勝。1学年上のハニカット陽子(当時太田陽子・湘南工大附高、現ミキハウス)とは当時から、ライバル関係が続いている。高校時代のベスト記録は1m81。しかし、室内では1m85に成功した。

「中学のときからオリンピックは夢でしたが、高校3年の時に1m85を跳んでから、自分はオリンピックに出られる人間なのだと思うようになりました。といっても、高校では自分の基礎体力の低さを思い知らされたのです。他の人が流しを走っているのに、自分だけ全力だったり…。そんな自分が1m85を跳んじゃっていいの、という気持ちと、だったら1m93(当時の五輪参加標準記録)なんかちょっと練習すれば簡単じゃん、という気持ちになって」

  94年に阪本コーチのいる中京女大に進学。ベスト記録は1年時から1m86(94年)−1m89(95年)−1m87(96年)−1m93(97年)と、3年時に停滞したが、全体としては順調に伸びていた。

「3年生の時も自分では、伸び悩んだとは感じていません。自分の中では成長しているのがわかりましたし、記録が出ていない原因もはっきりしていました。だから次の年には絶対に跳べる自信がありましたし、そういう状態をスランプと感じることはありませんでしたね」

―― 迷っているヒマがあったら練習

 オリンピックに出るんだという信念が揺らぐことは、まったくなかった。その信念と共通しているのが、練習に対する姿勢である。何をやるかウジウジ迷ったことは一度もない、と言い切れるほどだ。

「1日中迷っているなんて、とんでもないことです。長くても30分までですよ、迷っていいのは。そこまで決めあぐねたこともありません。目標を達成したいと思ったら、自分の中で考え込んだりしているヒマはないんです。そんな時間があったら、練習に使った方がよっぽどいい。それに、迷いながら練習したら効果も上がりません」

「私は跳躍や技術練習で迷いがあったら、その瞬間に口に出しています。そして答えを出すまで、納得するまでコーチと話し合います。自分の考えが間違っていると思ったら、コーチの意見をすぐに受け入れますし、納得できなかったら、納得するまで説明してもらいます。無理やり受け入れるようなことはしません。そのあたり、先生が上手くやってくれているのでしょうが、だいたいは2人の意見を混ぜてやると、いい結果が出ていますね」

  今井が迷うことといったら、相当に細かい部分。選手やコーチなど専門家にしか理解できないようなところだ。必ずしも“迷い”を代表しているとはいえないが、次のような例を挙げてくれた。

「50mの加速走をやるときに、単純に速いタイムで走るのがいいか、速さを意識しつつも助走をイメージしながら走るのがいいか、といった部分です。ついつい、周りを見てしまうこともあって、スピードなど基礎体力的なところで劣るので、やっぱり速い方がいいのかな、とか…。結論的には、全ての練習が走高跳につながっていないといけないということで、後者を取るんですけどね。それを阪本先生に言ってほしい気持ちも、あるのかもしれません」

  そのやり方が効を奏し、日本インカレは2年時から3連勝。特に4年時には1m93に成功後、1m96の日本新にまでバーを上げている。僅かに踵が触れるだけの惜しい跳躍だったが、今となっては「跳べなくてよかった」と振り返る。

「何がよくてその高さまで行けたのか、わかっていませんでした。もしも、そのとき1m96を跳べていたら、悪い方向に向かっちゃったんじゃないかと思いますね」

  しかし、そのときはすぐにでも跳べると思った3cmに、その後4年の歳月を費やすことになった。

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