2018.01.22

Interview : ダンスアーティスト/振付師として活躍する TAKAHIRO のルーツに迫る Vol.2

ダンスアーティストや振付師として活躍する「TAKAHIRO」へのインタビューVol.2では切望し続けてきた世界最高峰の舞台で得た新たな気づきや、振付師という新たな表現の場に挑むこととなった経緯を語って頂いた。

- 世界最高峰のトーナメントを通じて自身にどんな影響があったか

コンテスト自体は劇場版とTV版で2年間続きました。変わった事といえば、自分自身のスタイルが最大の武器であり、最強の弱点であるということを知った事です。オーディションの時に、ある審査員に’そのダンスのどこがHip Hopなんだ!’と指摘されました。音楽もHip Hopじゃないし、ダンスもHip Hopじゃない、何しにきたんだと。その時に審査員の一人が、’待って待って!彼ファニーよ。見たことがないタイプで面白いじゃない’と言ってくれたんです。その人が‘アポロシアターの伝統をリスペクトして、あなたらしさを残したダンスをできたら、1回戦出てもいいよ’と言ってくれて。それを機に敗者復活戦から出場の枠を掴んだんです。

オーディションを突破し、ハーレム地区に住むことになるのですが、自分が日本で思っていたHip Hopと現実のHip Hopが違いすぎて、自分の中でHip Hopを表層的にイメージしていたのですが、実際に2年間生活をしてみて、実際のHip Hopは歴史が作った文化だと感じました。最終的には、自分らしさ、自分のスタイルを持ちながら、Hip Hopの人達とこのスタイルを分かり合いたいという強い思いはきっと伝えることができると確信しました。それで作品の構成を変えたり、音楽を変えたりと試行錯誤してました。一つ目の変革は、場所によって見てくれる人が違うのだから、自分が一番いいと思うことをやったところで、それは独りよがりであって、パフォーマンスじゃないんだなと気付いたことでした。それまでのパフォーマンスが急に恥ずかしくなった。

- 自分の見せたいことと、オーディエンスの目線ですべきことのバランスの取り方とは

自分一人ではどこでも好きなように踊ることが出来る、でもお客さんに見てもらって喜んでもらうことは、当時のアメリカにいた自分にとっては、自分がこの場所に存在していることを感じられる、表現できる、唯一のツールでした。アメリカでは、お客さんに良かったねって言ってもらえるものはダンスしかなかった。英語が喋れなかったから。だからダンスで笑顔を向けてくれるように心がけていた。あの場所だったからこそ、生きがいを感じることができたのかもしれません。

- 日本とアメリカで表現方法に違いはあるのか

アメリカで成功するためには、ふた通りの大きな道があると思っています。ひとつは自分がアメリカンになる。自分自身が相手のコミュニティーに入って関係性をビルドアップしていくこと。もうひとつは日本人としての自分を尖らせていく。不思議なやつと思われることもあるけれど、それも個性になる。僕の場合は、イェーイとかアメリカならではのハイテンションが苦手だったので、髪を長くして、結って、アジア人としての個性を出していました。ダンスでいえば海外の方は筋肉量が多く、バネが強くパワーがすごいので、僕は細かい動きや滑らかな動きを意識して攻めていきました。

- セルフプロデュースは着る服にも影響を与えたか

アポロシアターに行く道のりは、いつも紫の服に、サルエルパンツ、首にアジア系の巻物、頭にターバンを巻いたスタイルでした。パッと見て、相手が覚えてくれるように。英語が喋れなかった分、外見の個性も意識していました。最近では振付師をしていることもあって、全身黒が多いですね。黒色をチョイスするのには理由があって、カラフルな格好だと撮影の際にメインアーティストさんより目立ってしまう。それを避けるためによく黒を着ています。

- 振付師や演出家として創作活動へと活躍の場を広げた転機とは

2003年に千葉の小さなダンススタジオでレッスンを始めたことがきっかけです。そこから少し間が空いて次は急に規模が大きくなって、2007年の大阪世界陸上で初めて知らない人たちに振り付けをする事になって。30〜40人くらいはいたと思います。それから自然な流れでお仕事をいただくこととなるんですが、大阪世界陸上の時のスタッフさんが舞台の振り付けをしちゃいなよって声をかけてくれて。そうしたら上の階でたまたま舞台稽古をしていたディレクターさんがうちでも振り付けをしてよって言ってくれて、その舞台を見た方がうちのグループの振り付けもお願いって言ってくれて。

- 数珠つなぎで仕事が大きくなってきたが苦労した点は

壁にぶち当たることは毎度のことです。初めて振り付けをした時も、責任重大な世界陸上の開会式といった舞台を任されている。話をくれた方の熱い想いに答えなければいけないプレッシャーに苛まれて頭が噴火しそうになっていました。アポロシアターでダンスをしている時も実力以上の攻めをし過ぎて呼吸をするより体を動かす方に比重を置きすぎてステージ横で毎回嗚咽が出そうになりました。一度出来るようになると次はもっと出来るようになるものです。自分が挑戦したことがないことであっても、一旦向き合ってみる。重圧と戦いながら少しずつ壁を乗り越えているんです。

- 演者として、また振付師としての今後の展望は

常に新しいものに挑戦していきたいです。熱い魂をもったクリエイターの方達と一緒に新しいものが作り出せたら幸せです。とにかく、踊っているのが好き。振り付けを作っているのが好き。一年前の自分が驚くような、一年前から見ていただいている方達が驚くような、楽しいクリエーションをしていきたいです。

- 読者に一言でメッセージを伝えるなら

‘明日はもっとできる’

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