いまから、およそ一世紀前。運動服装のオーダーメイドと野球ボールの販売を手掛ける商社として1906年、ミズノ(当時は水野兄弟商会)は産声を上げた。
創業当初は、まだスポーツというジャンルが広く日本に浸透していない時代。販売している野球ボールも主に海外メーカーからの仕入れに頼っていたものの、「自社製品でないと自信をもってお客様におすすめできない」という創業者のこだわりにより、まもなくミズノは野球ボールとグラブの自社製造を開始することになる。

とはいえ当時、国内で野球品をつくっているメーカーなどほとんどなく、その開発はまったくの手探り状態。野球品の修理に携わったことのある職人を集め、アメリカ製の野球品を分解して内部構造を研究するなど、試行錯誤を経て第一号の自社製品を生み出したのは大正時代に入ってからのことだった。

ゴルフクラブの発売と同時期にシューズも発売を開始。

ちなみにゴルフというスポーツは明治時代の後期、すでに海外から日本へ伝わっていた。外国船が入港する神戸、横浜、長崎などから定着し、ゴルフコースも徐々にオープンしていくものの、それらは来航した外国人を対象としたものであり、日本人にとってゴルフとは外国人が嗜むスポーツという認識程度でしかなかった。

そのようなゴルフの黎明期から、ミズノはゴルフの娯楽性や競技としての将来性にいち早く着目。1933年に日本初のゴルフクラブ「スターライン」を発売するとともに、ほぼ時を同じくしてゴルフシューズ発売もスタートさせるなど、わが国にゴルフ文化を根づかせる、そのきっかけをつくっていく。

日本に本格的なゴルフブームが到来するのは、戦後の高度経済成長期を迎えた頃。1957年に国際的なゴルフ大会が日本で初めて開催され、日本人が優勝を飾ったことが、ひとつのきっかけとなった。ただ当時、ゴルファーが履くシューズはスポーツ用というより紳士靴の延長のような存在。各メーカーが発売するシューズも革底のものが基本であり常識とされていた。

しかし、全社的にシューズの軽量化を追求してきたミズノは1978年、軽量のナイロンソール「DURA SOLE NOVA」を採用したゴルフシューズを、他社メーカーに先駆けて開発。従来モデルに比べて重さが約半分という同シューズは発売すると同時に一躍人気商品となり、日本のゴルファーにミズノブランドのシューズを強く印象づける結果となった。

1981年、シューズ製造を専門に携わるミズノランバード社が設立されたことを皮切りに、ミズノは斬新なアイデアのゴルフシューズを次々と世に送り出していく。
たとえば1984年に発売した「CBR」は、世界で初めてセラミックス素材のスパイクをそれぞれ搭載したモデルだ。社員が実際にシューズを履いて堤防を駆け上がったり、石の上を何度も飛び跳ねるなどしてそのスパイク強度を確認。「折れたら交換」というインパクトのあるキャッチフレーズも功を奏し、2アイテム合わせて年間販売数10万足を超える大ヒット商品となった。

しかし、性能面に問題がなかったわけではない。アッパーのソフト感を出すために用いた素材が、のちに水に弱かったことが判明。一部のシューズでソールの剥がれが発生したが、それでもこのシューズを求める声がやまなかったことも、また事実だった。

 

樹脂ソールの人気が高まりつつあった1988年には、強度のあるウレタン素材と軽量のナイロン素材、それぞれの長所を組み合わせたソールを持つシューズ「テクノトップ」を、ミズノは開発・発売する。

同商品はミズノのゴルフシューズとして初のテレビCM(フレーズは「バランスよくいこうよ、ご同輩」)も制作。ミズノの注力商品のひとつではあったが、異素材を組み合わせたメリットが体感しづらい、などの理由からヒットには至らなかった。新しい技術や機能が、必ずしもシューズ販売の伸びにはつながらない。それを改めて考えさせられた一例でもある。

 

1990年前後からスパイクレスタイプのゴルフシューズが注目を集め出したことをきっかけに、ミズノもまたスパイクレスシューズの開発に着手する。
他社メーカーとの差別化を図るため、ミズノが目指したのは「普段履きでも通用するお洒落なシューズ」づくりだった。ゴルフシューズとしての機能性は損なわずに高いデザイン性を融合させるため、ミズノは思い切って当時紳士靴では名の通った工場にラスト(靴型)を持参し、シューズの型紙制作を依頼。試作品づくりに何度もトライしながら、美しいウイングチップとフォルムを持つシューズ「ミズノプロ」を1991年に発売した。

このシューズはミズノの契約プロ選手にも提供し、実際に使用してもらいながら販促活動を展開。これにより、決してデザインだけでないシューズ性能の高さを世間にアピールすることができた。

ゴルファーに限らず、昔も今もスポーツをする女性がよく気にするのは、プレイ中の汗・ムレなどによる足の臭いだろう。そのような悩みを解消するために1991年、ミズノは「香美人」と名づけた、文字通り香りの出るゴルフシューズを発売する。

10種類ほどの香りのサンプルを用意し、さまざまな女性からアンケートを取りながら、どのような香りが一般的に受け入れやすいのかを調査。そして履き口部分に小さな芳香剤カプセルを入れ、シューズを履くたびにカプセル内の香りが放たれる、という構造を発案した。

この過去にないアイデアによりシューズの発売当初は新聞・雑誌によく取り上げられたものの、長く履き続けるとシューズに汗の臭いが混入。香りの効果が薄れてしまうという欠点を指摘されることもあり、マスコミへの高い露出度にも関わらず、思うようには普及しなかった。

ゴルフシューズには、水の中に足を浸けても問題がないほどの防水性が必要といわれている。もちろん実際のプレイでそこまでの状況に見舞われることは少ないが、ゴルフというのは雨天の中でも行われるスポーツであり、他の競技用シューズに比べて高い防水性が求められることは確かだ。

シューズに用いられる防水素材といえば、名の通ったブランドも多々あるが、既成のものだと設計に制約が生まれ、求めている性能が出しにくいという側面がある。シューズ設計の自由度を高めるためにミズノは1992年、水は通さないのに湿気は外へ出すという防水透湿素材・プロテインテックスを採用。

同素材を袋状にあしらうことで、さらなる耐水性を確保するシステムを誕生させた。パテントも取得したこの防水システムにより、ミズノのゴルフシューズはよりバリエーション豊かな設計が可能に。以降、高機能とコストパフォーマンスを両立するシューズが次々と生み出されていくことになる。

 

ミズノが過去に発売したゴルフシューズの中には、スポーツとはまったく異なるジャンルから、アイデアや発想を得たものもある。
1996年に発売した「グランドモナーク」は、大工の履く地下足袋をヒントに生まれた鼻緒つきのゴルフシューズだ。大工という仕事は足元が不安定だと作業ができない。スイング時に安定感が求められるゴルフにおいてもそれは同様であると考えたミズノは、シューズのつま先部に鼻緒を内蔵。親指にいっそう力が加わりやすい新構造シューズを誕生させた。

しかし、現代人は鼻緒のある履き物を足にする機会があまりなく、履き馴れていない人にとっては鼻緒部分の靴擦れを招く結果に。発想自体はプロ選手からの賛同も得られたシューズであったが、その販売数は年間1000足程度にとどまった。

シューズのさらなる軽量化を目指して、ミズノが2000年に満を持して発売したのが「プレサージュ」だ。当時、スポーツタイプのゴルフシューズは平均430g-440g(片方・25.0cm)程度の重さであったが、軽いと感じてもらえるシューズを生み出すには、本体重量を50gそぎ落とさなければならなかった。
そこでミズノは、シューズの中底を突き上げがかかる部位のみに限定使用するなどして、目標数値の軽さを達成。ラスト(靴型)にもランニングシューズ用のものを採用し、フォルム上の軽さ・新しさを創出することも試みる。

同商品は開発段階のシューズを履いて、ゴルフ以外のスポーツにトライすることでその性能面を確認。ランニングシューズさながらに「走り出せるくらいラク」を謳い文句に市場へと送り出した。ゴルフは走るスポーツではない、というまわりからの批判もあったが、走れるほど軽いシューズを生み出そうとする姿勢や発想は、スポーツ総合メーカー・ミズノならではのものといえるだろう。

ゴルフシューズのアッパーには高い防水性や通気性を備える人工皮革が主に用いられるが、足との馴じみやすさや風合いの良さは、やはり天然皮革に勝るものはない。人工皮革と天然皮革、それぞれの皮革の優れた特性をミックスした新しい素材はできないだろうか。
そこで国内トップクラスの繊維メーカーに開発を依頼。互いに議論を重ねた末に通気性と風合いを兼ね備えた新しいアッパー素材が誕生した。

ところが、試作品のテスト段階でひとつの問題が浮上した。水に弱く、人工皮革に求められる防水基準をクリアしていなかったのだ。新しいアッパーを使用したシューズは、2002年の発売時、人工皮革であっても防水仕様ではないと関係者や販売店へ事前にアナウンスせざるを得なくなるが、新素材による通気性と風合いの良さが好評に。結果、当初の設定目標より3倍以上の販売数を達成した。

 

その開発のきっかけは、ミズノのウェブサイトで実施した、ひとつのアンケートだった。「ゴルフシューズで困っている点は?」との問いに、紐のシューズをもっと楽に履きたい、というユーザーの回答が予想に反して多かった。

単にシューズを楽に履きたいだけならば、ベルクロタイプのものが適している。しかし、紐靴には紐ならではの、ベルクロにはない締め心地とフィット感がある。
そこでミズノは、あたかもパラシュートのように紐がパッと開き、すぐに履いたり脱いだりできるシューズ機能はできないものか、と開発チームを結成。
そして2002年、タブを引き上げるだけで簡単に紐が緩み、シューズがスムーズに履ける・脱げるという従来にない着脱システム「パラシュートタブ」を誕生させた。

実履きテストの結果でも、21名中19名のモニターのシューズ着脱時間が実際に早くなっていることを確認(テストでの平均タイム0.72秒(ミズノ調べ))。
シューズの紐を「しっかり締める」のではなく「簡単に緩める」ことを狙った逆転の発想が、この利便性の高い新機能を生み出した秘密といえる。

技術の進歩によりソフトスパイクのグリップ力が高まる半面、ラウンド中にネジが緩んでスパイクが取れてしまう、というユーザーの声を当時よく耳にするようになった。そのためミズノは乗用車や飛行機などのボディに採用されているネジのシステムを参考に、「プラスフィックス」と呼ばれる新しいスパイク装着システムを開発する。

これは、従来は金属製だったナット部分に、スパイクのネジ形状に合わせて変形する高強度高弾性樹脂を採用することで、ネジが隙間なく密着。仮に他社のスパイクに付け替えても優れたホールド感が持続する、まさに汎用性が高く画期的なスパイク装着システムといえる。
この「プラスフィックス」搭載シューズは、キャンペーン展開や各種販促物などの積極的なPR活動により急速に普及。スパイクが取れてなくなる、といったユーザーからの苦情はほぼ寄せられることがなくなった。

 

初代のIGスパイク搭載シューズが世に登場したのは2006年のこと。従来は円形だったスパイクの爪に方向性を持たせることで、特定方向への足のズレを効果的に抑制し、さらなる飛距離アップと方向安定性を実現したものだ。
その設計思想は、1998年に立ち上げられた世界戦略ブランド「T-ZOID」シューズに搭載した左右非対称スパイクがベース。以降、数多くの試行錯誤を重ねながらその性能は磨かれ、現在IGスパイクは形状・素材の工夫により、クッション性や軽量化などゴルファーの足にいっそう優しい仕様へ進化を遂げている。

ゴルフ、野球も含めた全ての競技アイテムのアウトマークが「ランバード」に変更になったことにより、ゴルフシューズにもシューラインとして「ランバード」が入る。ちなみに全社で「ランバード」が初めてシューラインとして使用されたのは、1983年。

また同年、高い安定性とクッション性を発揮する「∞インフィニティウエーブ」が登場。従来の「柔らかい素材がクッションを生み出す」という固定観念を覆す画期的な構造で、スポンジ素材特有のへたりが少なく性能持続性を大幅に向上させた。

ゴルファーにとってのシューズに関する不満をアンケートで取ると、「水が入る」と「蒸れる」が上位2項目を占める。しかしながらこの二律背反の機能の両立は実現不可能とされていた。
しかし、新撥水加工技術「アイオンマスク」と独自の透湿防水素材「クールブリーズ」によって、アッパーに通気性の高いメッシュ素材を使用しても、水の毛細管現象を抑制し浸入を防ぐとともに、シューズ内を快適に保つ事を可能にした。

※「アイオンマスク」はP2i社の技術・商標です。

最良のはき心地をお届けするために・・・

100年を超える歴史の中でスポーツ一筋に携わり、スポーツする日本人の足を見つめ続けてきた、ミズノ。
そこから生み出されるゴルフシューズには、あなたにとって最良のはき心地をお届けするためのクラフトマンシップとテクノロジーが、全身に深く息づいている。